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陸前高田のこと。。。 [おとうの独り言]

 おとうの母上の出身は岩手県陸前高田でございまして。。。
 幼き日は母上殿に連れられて何度かその実家に遊びに行ったものです。

 気仙川沿いにあるその家は,幼かった頃の子供の目をもってしても大そう立派な造りでして・・・
 高田大工の仕事ここにあり!と言わんばかりの廊下,階段(特に手すり)などはそれはもう頬ずりしたいほどの出来栄えでございました。

 夏になれば,高田松原を眺めながら砂浜で海水浴を楽しみ。。。
 家の裏門を出てすぐの気仙川の堤防を散歩して,潮の満ち引きの度に浅瀬でカニやらハゼやらを追い回していた記憶がございます。

 大人になるにしたがって高田に行く機会もなくなり,前回訪ねたのは25年くらい前になってしまうでしょうか・・・
 それでもしっかりと,そして優しく陸前高田の町,田舎の家の記憶は持ち続けておりました。。。
 

 2011年3月11日。。。

 母上殿はかれこれ数年前に天に召されておりますが,親族(おじ・おば・いとこ・他いろいろ)が陸前高田に住んでおりました・・・
 奇跡的としか言えない偶然が積み重なり,結果として親族の全員が命を長らえる事ができました。
 最初に電話で無事を聞いたときはさすがに目から溢れるものがありましたね。。。

 震災から1ヶ月以上が経ち・・・
 東北自動車道の全線開通,ガソリン供給の安定を確認し,現地に向かう事といたしました。
 避難所で暮らす親族に頼まれたモノ,そして避難所の皆さんで使っていただけそうなものを持てるだけ携えて・・・

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      【東北自動車道 長者原SAにあった応援ボード】

 陸前高田には東北道一関I.C.から海岸線に向けて一般道を走ることとなります。
 途中,道路に大きな亀裂や陥没があるところ,大規模な補修工事をしたであろう所を通り,高田へと・・・
 気仙沼方面から高田へと入る最後の一山を越えたとき・・・

 目の前に広がったのは記憶に残る町ではありませんでした。。。

 味わいのある家々が連なる幼き日に故郷と認識したあの街。。。
 道路だけは記憶どおりに折れているものの,その周りにあるものは戦場かと思うほどの何もない荒地。。。

 あ,被災した高田の町の写真は紹介しませんよ。
 あんな風景はいりません。
 皆さん報道でイヤと言うほどみているでしょう。。。
 
 記憶の限りで元々家のあった辺りにたどり着きます。
 変な風にクランクしている道路。
 裏山にはお寺。
 すぐ裏手には気仙川。。。
 あ,バス停の残骸と消火栓もある。。。

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    【家の裏手にある大きな杉の木】

 ここだ。
 ここに違いない。

 自慢できるほど立派であった木造建築の家は跡形もなく・・・土台だけが残っていました。
 どんと庭に構えていたはずの蔵もない。。。
 気仙川に面していた立派な門は,もぎ取られたように根元だけが残っていました。
 隣家のあった場所には,そこにあるはずのない橋の歩道が横たわっていたでしょうか。。。

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        【裏のお寺は桜が満開】

 震災からもう1ヶ月以上が経っていますからね。
 ある程度の瓦礫は撤去されているようです。
 道路上は普通の自動車が通行できる程に片付けられております。

 瓦礫の山にはどこから流れてきたかわからない網や巨大な庭石,鉄骨,いろんなものがあります。
 そして津波が運んできた大量の土砂・・・ぬかるみですかね。
 跡地をあちこちと歩き回り,記憶の限りの想い出を振り絞ります。
 池の場所,井戸の場所,風呂の場所・・・

 アルバムが見つかりました。
 昔は自分の祖父だと思い込んでいた伯父の凛々しい姿がそこにあります。
 カラー写真がちょうど出始めた頃の写真でしょうね。
 嬉しくなります。
 以前の陸前高田を想いたどれる材料がみつかったのですから。。。

 家のあった場所をあとにし,避難所へと向かいます。
 幾ばくかの届け物を渡しに。。。

 避難所はまだ何百人もの方々が暮らしています。
 届けたものは全員には行き渡りません。
 それでも何割かの方には役になってくれるでしょう。

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          【避難所も桜が満開】

 お話をお伺いすると,今ここにいらっしゃる方々は,震災時に大なり小なりいろんな偶然(幸運)が積み重なってここに逃げてこれたとのこと。
 報道の文章ではドラマチックな出来事があったかに書き綴ってありますが,全ては現実。
 ドラマではないのです。

 今も,明日も,その先も,多くの方々は高田の地で暮らしていきます。
 今日,明日の復興のスピードはまだまだ遅いかもしれません。
 でもいつか加速度がかかって高田の町が帰ってきてくれることでしょう。

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  【陸前高田の街中でみんなの帰りを待つスティッチ】

 いろんな方々が先のことを考えておられます。

 今度はこんな街をつくるんだ!

 強い言葉の中にいろんな想いが詰まっているんだと思います。
 満開に咲く桜の花が,そーゆー高田の人々を応援してくれている様にも感じました。。。

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       【陸前高田の空は高く青く・・・】

 最終的に本当にがんばらないといけないのはやっぱり地元の人々。
 でもそれまでの間,少しでも力を蓄えておけるよう,今は周りの人々が出来ることを少しずつでも手伝っていければよいのかな。。。

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     【震災復興のシンボル 一本松】

 観光名所であった高田松原も1本だけになってしまいました。
 でもいつか復興した高田の町にはかつての松原にも負けない何かがきっと出来ている事だと思います。

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    【楽天の復興支援ステッカー】

 がんばろう東日本!!
 がんばれ陸前高田!!


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さすけ

ガンバレのnice! です。。。
by さすけ (2011-04-28 08:16) 

おとうたま

さすけっち

うん。
みんながんばれだよね。
by おとうたま (2011-04-28 17:24) 

スタMasa

おとうたまは東北の血を継いでおられたのですね…。
あらためてお見舞い申し上げます。
被災された方々の心が、本当に癒やされる時が、早くおとずれますように、祈りに覚えます。
by スタMasa (2011-04-28 19:45) 

JUN

頑張れ!…言葉で言うのは簡単だけど、被災した人達はこれ以上ないほど日々頑張ってるんだよね。。毎日頑張ってるけど、必ずいつかは頑張らなくてもいい日がくるから…

それまで頑張れ!!だね。。

by JUN (2011-04-28 21:13) 

noble

そうだったのですね・・・
実は震災後4回ほど東北に行っています。被災した店舗を廻って実情を把握するのと、従業員に無理せずにひとつひとつ出来ることをやるよう伝えるのが目的で、福島、宮城、岩手と見て廻り、宿泊は山形や秋田まで足を延ばすという旅でした(そこまで行かないと宿が無い)。
いろいろ廻った中では陸前高田が一番悲惨だったように思いました。海から遠く離れたところまで津波が到達していたのですね。おとうのお身内の方々が無事だったのはまさに不幸中の幸いでした。
4回を通して感じたことは1回ごとに様子が違っているということです。少しずつでも復興が始まっていて、人々の目が輝きを増しているのが感じられました。
私も一日も早い復興をお祈りするとともに、仕事を通してそのお手伝いをしたいと思います。
by noble (2011-04-29 17:11) 

B,J,Just

はじめまして、こんにちは。
スタMasaさんの弟子であり、罪深く弱き兵士ユストと申します。
被災地の方々のご苦労、計り知れないと思います。
寝ても覚めても、破壊された現実が日々目の前にあります。
また、どんなに復興しても、亡くなった人は戻って来ません。
ただただ現実を受け入れるしかありません。

なのに、被災していない多くの人達は、もうすでに震災を忘れつつあります。
災派時の現地の指揮者や、その部下達は、どうしているかなぁ?
私は、いつも考えます。
毎日、辛いだろうなと思うと、目頭が熱くなります
TOMODACHIなんかじゃない、同じ日本人が困ってんだ。
誰の結婚式だ?スケートなんか見てる場合か?
もっともっと、自粛しろ。
被災者の涙を知れ。

つい、大人気なく書き綴ってしまいました。
乱暴な文、ご容赦ください。

追伸。
遠い昔、おとうたま氏が、YABで合体なされた時、ユスト隊一行は後方3mあたりにおりました。
その大きさに感動したのを記憶しています。
by B,J,Just (2011-04-30 02:26) 

おとうたま

スタmasaさん

時間はかかると思いますが、少しづつ新しい街づくりに進んで行ってもらいたいです。
by おとうたま (2011-04-30 10:16) 

おとうたま

JUNさん

仙台の親戚のマンションは鉄骨が見える程に亀裂が入っており、震災の被害の大きさを改めて認識しました。
色んな形で被災された方がいらっしゃり、ここに応じた復興支援がどれだけできるものだろうかと考えさせられました。

by おとうたま (2011-04-30 10:21) 

おとうたま

nobleさん

そうですか、既に何度も行かれているのですね。
一日一日何かが少しずつ変わり、それにより明日の活力を得る方が出てくる。。。
まさにそんな状況かと思います。

支援に行くにしても現地で自分が邪魔者にならない時期、準備ができるまで待ち、リクエストされた大物物資が入手できるのを待って現地入りいたしました。
思いつきだけではなかなかいけませんよね。。。

by おとうたま (2011-04-30 10:28) 

おとうたま

ユストさん

いらっしゃいませ。

現代では人はテレビの世界と現実との境目が解りにくくなっているようです。
テレビは放送が終われば終わり。。。
でもそこにいる人は、これから暮らしていかなけばいけないのですよね。
自分が今できている当たり前の生活を現地の方が同じようにできるようになるためにはどんな事が必要なのか。。。

求められている事と出来る事のギャップ。。。
全てがパーフェクトにできることはないでしょう。
それでも最大公約数のできることが役に立つことは確かです。

出来ることを出来る人がやり続けて行きましょう!

で。。。
大きかったですか?
ハラが。。。
by おとうたま (2011-04-30 10:37) 

ぐ

おつかれした。
無事でなにより。 うん
by ぐ (2011-04-30 20:08) 

麻生先人

お疲れ様でした。
私も防災ダイヤルで1度生存は確認出来たものの、
その後音信普通の福島の親戚(原発の20km圏内)が居たりしますので、
陸前高田とは場所は違えど現地で被災された方の苦労は大変なものだろうと思います。
何はともかく、一日も早い復興を祈らずには入られません。

by 麻生先人 (2011-04-30 22:36) 

おとうたま



教えてもらった通り,栃木出たら高速で車がジャンプしてました。

うん。
無事に行って帰って来ました。
うん。
あっちの皆も元気でした。

これからも頑張らないとね。
by おとうたま (2011-05-01 01:26) 

おとうたま

麻生さん

不明のご親戚の消息が早くつかめると良いですね。
地震,津波,その後のいろいろ。。。
形は違えどいろんな形で被災されている方がいらっしゃいます。

誰からも手が差し伸べられない方もいるのでしょう。
皆が落ち着いて生活出来る様な日が早く来て欲しいですね。
by おとうたま (2011-05-01 01:30) 

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