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親は子を育て,子は親を育てる [おとうの独り言]

先日嫁だがねとしみじみと話していたのですが,幼い頃は学年に1,2人位の割合で障害児童(知覚・運動)のお友達がおり,仲良くお互いに家に遊びに行ったりして学校生活をエンジョイしていたものです。でもそういう障害のある児童,人間が世の中にいっぱいいる,っていう意識は当時は全くなく,単にお友達がそうであったというレベルにとどまっておりました。社会人となり,世の中と広く接するようになり,さらに子育て,地域活動等,様々な人との交流を広げていく中で,あらためて障害者の方達と接する機会が多くなり,その認識をあらためていくこととなりました。とは言っても,特別な活動をしているわけでもなくって,やっぱりお友達として普通に遊んでいるだけなんですけどね・・・さて,そんな中でのお話しです。
我が家のお子〜たま2号は生まれたときは超未熟児で新生児集中治療室(N.I.C.U./YMCAではないよ)にお世話になっておりました。予定日まであと一月半くらいといった時期から全く胎内で成長しなくなり,心音の低下もみられたことから,通っていた産婦人科から大学病院への転院を薦められたのです。最初は検査だけというお話しでしたが,ちょっとした胸騒ぎから入院道具一式をもって大学病院を訪ねたところ,その場で即入院となりました。翌日から精密検査をしていきましょうね,と言われたその晩に容態が急変し,緊急帝王切開でとりあげることとに。まあ胎内で成長していなかったので当然小さく,N.I.C.U.で見守られることとなった訳ですね。術後執刀された先生に呼ばれ,摘出した胎盤を見せて頂くことに・・・大きなショックを受けました。胎盤は母親から胎児へ栄養や酸素を送る大事な大事なドッキングステーションですが,この胎盤が真っ白なんです。灰化してるって言うんでしょうか・・・胎盤がこの状態では当然胎児が成長するわけはありません。先生曰く,いつ胎盤剥離が起きてもおかしくなく,急に胎盤剥離が起これば母子共に命は危なかったでしょうね。今まで無事でいたことの方がすごいことです。多分この状態に胎児が耐えられなくなってSOSを出したので帝王切開になったのでしょう。とのことでした。正直家族を失う事の恐怖を感じたのはこれが初めてでした。実はお腹の子供の様子がおかしい?って聞かされてから,生まれてくる子供を見るまでは,何らかの障害が残ってもおかしくない。って覚悟をしていました。でも,生まれてきてN.I.C.U.に運ばれていく途中の2号(飼育ケース見たいのに入ってましたけど)を見たときは,なんだちゃんとしてるじゃん!小さいだけじゃん!って,なんか胸をなで下ろしておりました。結局子宮の居心地が悪かった以外は特別なことはなかったようで,一ヶ月くらいN.I.C.U.にお世話になって無事退院することができました。まあ何だかんだであれから約10年が過ぎ,2号も天然系100%のボケであること以外何事もなかったかのように育っております。
そんな2号を振り返り,嫁だがねがとあるお友達に「ウチは親が障害児だと育てられないと思って神様が助けてくれたのかな?」と問いかけると,これに対しお友達は,ウチはね,神様が『親がだらしないからこの子を授けてあげよう。そうすればこの子を育てることで子供が親を成長させてくれるはずだから』っていう事でこの子を授けてくれたんだと思ってるんだ。だからこの子に育ててもらってるの!と応えてくれたそうです。お察しの通り,お友達は障害児のお母さんです。正直,目からウロコでした・・・これは障害児であるとかないとかは本来関係のない話です。確かに子供に親が成長を促されている事は多いのです。もちろん,いろいろな人との出会いが人間を成長させていくのでしょうから,当たり前といえば当たり前なんでしょうが,一番身近で,かつ自分が育てている子供にも自分が育てられている。それをサラッと言われたことにこれまたショックを受けました。確かにその通りだと・・・
人の成長というのは単に知識の集積だけではありません。様々な経験がその人の感性,情感をより深いモノに変えていってくれるのです。子供と過ごす時間という経験は,あきらかにこれまでのものとは違ったアプローチで成長を促してくれています。また,目に見えない「絆」っていうんでしょうか?自分により近い「存在」を意識するだけでも物事の考え方,行動の基準は変わってくるかも知れません。正直おとうはこれについては鈍い部類の人間であったと思います。2号の出産時の顛末の中で「家族を亡くす恐怖を初めて感じた」と書きましたが,この時までこうした意識を自覚することができなかったのですから・・・でも今は実感を持っています。1号,2号,嫁だがねもそうですが一番に自分を成長させてくれている存在だと思っております。この事をお友達の一言から改めて再認識いたしました。

今年は3月に父を亡くし,つい先月は母の最期を看取ることとなりました。二人とも特別病に伏せていたわけでもなく,突然の死でありました。今更なにもできないのは当たり前なのですが,母の四十九日を過ぎ,はたして子であった私は父や母をちょっとでも成長させることができたのだろうか?って考えています。いつも通り二人ではしゃぎあうお子〜たま1号,2号を煙たい目で見つめつつ,ちょっと感慨深く想っているこの頃でございます。

※文中の表現・言葉に不適切なものがあるかも知れませんが,特別な意図は一切ありません。単に筆者のボキャブラリーの少なさからくる表現とご理解ください。


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